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2014年3月11日 (火)

あの頃のこと

2011年3月11日から3年がすぎ、あの頃のことを少し思い出してみる。。。

1年目の3/11あたりに書こうかと思っていたが、なかなか書く気にはならなかった。。。

 

3年目の3/11を迎えて、あの頃のことを思い出しつつ書いてみようかと。

 

でも、あまり表に出したくもないので、、、過去の記事に埋もれさせています。
あと、コメントやトラックバックを受け付けない設定にしています。あしからず。

 

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ふだんは現場へ出る業務が多かったのだが、あの日はたまたま内勤で、十数ヶ所ある拠点箇所の設備状態を監視制御する役割の日でした。

 

14時46分。
その時刻には隣室で何かの業務をしていたのだが、揺れを感じて「地震だな」と思い、監視制御室に戻りTVを付けて地震情報を収集しようと。ここまではいたって普通の行動。
その直後、激しい揺れが。今まで経験したことのない強烈な揺れでした。
設備状態を集中監視する装置から設備異常を示す警報が鳴り響く。警報を停めてもすぐ別の警報がなる状況できりがない。警報を停めるのはやめて、致命的な異常が起きていないかだけに注意することに。
激しい揺れはかなり長く、数分にわたって揺れていた。いったいいつまで揺れ続くんだという感じでしたが、意外に冷静だったような気がします。
ようやく揺れがおさまります。ざっと見たかぎりで数ヶ所でお客さまに影響が出てしまう異常が起きていましたが、自動で復旧する装置が正常動作したようで、お客さまへの影響は解消されている模様。
異常詳細の確認はほかのメンバーに任せて、こちらは工事や作業している拠点箇所へ連絡をとり安否確認することに。建物や設備の古い場所を最優先して電話連絡。協力会社の責任者と連絡が取れました。怪我人などはなくひと安心。設備状態の確認するために社員を派遣するのですが、その前に協力会社の方にざっとでいいから設備状態を確認してもらおうと依頼する、、、が、その話の途中で再び激しい揺れ。こりゃダメだと、前言撤回して「作業中止して揺れがおさまるまで安全な場所で待機」という指示をだす。他の現場にも同様の指示。どの現場も社員、協力会社とも全員無事が確認できてひと安心。
一方で設備の方は、お客さまへの影響は解消されているものの、致命的な状況のものが数ヶ所で発見されてその都度、不具合設備を切り離していく。関係者で復旧方針を決めて協力会社へ緊急工事発注。このような状況下で迅速に動いてくれた協力会社へ感謝。

 

夕方頃、上司から全員、家族の安否を確認するよう指示があり、ようやく我にかえる。ここまでは落ち着いて行動してるようでも目の前の事象に対応するので精一杯という感じだったのかな。
メールで連絡してすぐ返信あり、みんな無事とのこと。家の中も大丈夫らしい。実家にもTELして無事を確認。これでひと安心です。このタイミングでトイレに行ったのですが、今いる建物内、壁や天井に亀裂があったり、物が散乱してたり。。。

 

全ての拠点箇所の状況確認と設備不具合の応急処置、致命的な不具合の緊急工事が終了したのは真夜中。近隣在住で徒歩や自転車で帰れる人だけ帰宅して残りは会社に泊まり込み。私は元々宿直勤務の予定日だったので泊まり込み。誰かが近所の店でおにぎりやらカップ麺などを調達してきてくれたのでおにぎり1個いただく。
ひと段落したことで、緊張の糸が切れて睡魔がやってくる。けれど一晩中、余震の揺れによって発生する設備の警報対応で結局眠れず。。。

 

翌朝になり、昨夜に帰宅した人たちがちゃんと出てくる。みんな偉いなあ。
こちらは一晩中、宿直対応していたのでお役御免で帰れることに。でも電車が動いていないらしい。。。その後、昼前になって一部の電車が動いているらしいとのことで、その方面の現場へ行く人の車に便乗させてもらい、運転再開した路線の駅へ。入ってきた電車内は土曜の昼だというのに満員電車。みんな疲れた顔をしている。昨夜は帰れなかった人たちなんだな。おつかれさま。自宅最寄り駅に着いて、駅前のコンビニで食料調達。品薄だと思っていたが通常通りの品揃えで意外な気が。

 

帰宅。カミサンは仕事、子供は保育所なので無人。家の中は目立った被害なし。家具や本棚に付けていた突っ張りタイプの耐震グッズの効果大だったのかな。
食事しながらTVを見る。ここでようやく、地震と津波の被害の甚大さを目の当たりにする。

 

津波にのみ込まれる街の映像。。。
なんだこれは。。。絶句、、、そして、涙がとまらない。
呆然としながら、無言でTV画面をみていたように思う。
この土日、自宅で何をしていたか、ほとんど覚えていない。

 

日曜日、会社からTELが入る。
「TV見てるか? 行くことになるかも。心の準備しておけ。また連絡する」
というような趣旨の内容。ふむ、まあそうだろうなあ。特別な感情は抱かなかった。話を聞いたカミサンはどう感じたかはわからないが。結局、この日はそれ以上の連絡はなかった。あとで聞いた話では、うちの部門としては別の事業所の人が第一陣として向かったらしい。

 

夕方のニュースで、翌朝から計画停電を実施するというニュースを見る。
やっぱり来たか、という思いと、こりゃタダじゃすまないな、という思い。月曜朝、始発電車で出勤することにして、早朝の駅へ。しかし、この時点ですでに駅を閉めてあり、計画停電で安全に運行できないことから今日は終日運転見合わせ、とのこと。なるほど確かにそうかもしれない。
自宅に引き返し、マイカー出勤に切り替え。早い時間に職場に着く。電車が停まっているなか、何かを予感したのか帰宅せずに近隣に泊まっていた人やマイカーで来た人など、ほとんどみんな普通に出社してくる、みんな偉いな。

 

うちの拠点箇所には非常用電源としてバッテリーがあるのだが、長時間にわたる停電になると持たなくなる。計画停電中は仕方ないが、停電が終わったあとにお客さまへ影響が出る事態は防がなければならない。あれこれ対応準備に追われる。しかし、この日はほとんど計画停電は実施されなかったので、いろいろな影響は杞憂におわった。
会社に泊まり込んだ翌日に、午後休暇をもらって車で帰宅。その時間帯に計画停電にあい、信号の消えた主要道路の交差点を通過する。これ相当怖いな。夕方には停電中、各交差点に警察の人が立ち交通整理していました。計画停電と言いつつ予定通り停電しないことが多いことで批判されていたが、できるだけ停電はない方がいい。
夜に帰宅すると、暗がりの中で蛍光灯ランタンを点けて、「キャンプみたい」と喜んでいます。うちの家族、たくましいなあ。

 

翌日、午前休暇をもらっていたので昼前に出社。
ちょうどその時に、第二陣の応援要請があり対応者の人選。そこにいたメンバーの顔ぶれから自分が適任だと判断し、「行きます」と言いました。家族に連絡しましたが、事前に心の準備もできていたのか、あれこれ言われることはなかった。

 

職場であれこれ準備して支店に対応者が集結。車で夕方に移動開始。
この時期、ガソリン不足騒動中であり、高速道路のSAで給油できるとのことだったが大渋滞。しかし「災害派遣」の文字で渋滞の列の先頭まで誘導してくれました。ありがとう。
一般車両通行止の高速道路をひた走る。暗がりの中、本線や路肩に亀裂や崩落がところどころ見える。勘違いで少し手前のインターで降りてしまったので海岸に近い国道へ出る。すると、車のライトに照らし出されたのは、泥まみれの路面や道路脇に不自然に落ちている漁船。。。これ昼間だったらどんな景色だったんだろう。。。

 

ようやく、前線基地となっている「J」へ到着。いろんな人でごった返している。
ここでの状況、対応内容などについて詳細を書くのは、、、控えておきます。
数日後、うちの部門のミッションを完了させて、「J」を離れます。帰りに寄ったPAで、トイレの蛇口から水が出ることにみんな感動していました。電気がないのは、あらかじめわかっているならば何とかなるのですが、水がないのは辛かったです。ライフラインでまず最初に確保すべきは水だな、と実感しました。
とりあえず無事に帰ってくることができてよかった。
ちなみに、帰ってきたあとのスクーリングやWBCは特に問題となる結果にはなっていません。

 

その後、会社情勢が激変してしまったことから、計画されていた設備更新や修理点検などがほぼストップしてしまう。コストをかけない必要最小限のメンテナンスを自分たちの手で行う。情勢が激変する中で緊急事態に対応するためのいくつかのプロジェクトが立ち上がり対応におわれる。それと並行して、夏場に向けてお客さまを個別訪問して謝罪と協力のお願いをして回る。当然ながら厳しい声をいっぱいいただく。
そんな多忙な日々を過ごしながら8月に入ると少し余裕もできるように。

 

夏休みをもらえることになり、被災地のようすを見に行ってみよう。。。ということで、まずは南三陸町へ向かい。。。そして、現在に至っています。

 

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あの頃を振り返ってみると、実際に被災された人たちには遠く及ばないものの、それなりに特殊なことも経験しているなあ。あの過酷で困難な状況を経験したことで、、、その後に多少の壁にぶち当たっても「何とかなるさ」と考える自分がいます。

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