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2013年2月 3日 (日)

【南三陸ボランティア/2012年12月】3日目-上の山エリア

[12月18(火):3日目]

今回は3日間なので今日が最終日。帰りの運転のことを考えて半日のみの活動予定です。(まあ状況次第では午後もやってもいいとは思ってますが)

今日の活動場所は、上の山エリアでのガレキ撤去。志津川の国道沿いにあるバス車両を使ったラーメン屋の裏手あたり。
リーダー1人に他のメンバー10人程度の少数現場です。

半日で離脱予定なので、同乗者はなく単独で現場へ向かいます。

意外に「初めて」という人が多かったようでリーダーが注意事項その他を説明している間に、阪神帽のオッチャン(名前失念)と二人で道具の準備。

家屋の基礎だけになってしまった場所でのガレキ撤去作業と言うことで、やること自体は、これまでの場所と変わりありません。基礎内の土砂は出さなくてよいとの指示だったので、基本的には表面に見えているガレキ等を拾うレベルかな、と思うのですが、前に手が入っている場所なのか見た目はわりときれいです。この場所なら土砂を外に出した方がいいような、という気もして、イマイチ気合いが入らない自分がいます。

また「今日のボラセン」ページから写真を拾ってきました。

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ふと周りを見ると、少し年長の2人が互いに写真を撮り合っています。まあ興味本位に被災地の写真を撮っているわけではないし、被災地の状況を伝えるためには写真も必要とは思うものの、原則撮影禁止がここのルールだし、おそらく最初の説明(私は道具の準備で聞いていないけど)にもあったはずだと思うのだが。。。
さらに休憩時間になって、「カシャッ」という音に振り向くと、バケツに集めたガレキ類を携帯で撮ってる姿が。。。さりげなく注意したところ、「いや携帯を見ていただけ」などという言い訳。やや年配の人でしたがみっともない。

その後も、「いまやってる作業ってどういう意味なのか?」と私に聞いてくる人もいて、、、こうなると、今日のリーダー氏は最初の説明で何を説明したのだろうという気もしてきました。

上に書いた人たちは私よりずっと年上世代の人たちでしたが、今日の現場にはずっと若い世代のグループも来ていました。話を聞くと、関東某県の高校生たちで、試験休みを利用して教師引率で来ているとのこと。この高校生たちの動きがまた、、、ちょっと気になってしまいました。
これまで現地で見てきた高校生や大学生たちはほぼみんな、やる気十分という感じで元気いっぱいだったのですが、今回の彼らはどうもやる気や活気が感じられません。
2m四方くらいの狭い場所に3~4人で固まって、ぼそぼそと小声で話しながらスコップで地面をなんとなく突いている感じ。一度は、「作業場所は広いんだからもっと分散してやろうよ」みたいに助言して、その場は「じゃあここは○○に任せたから俺はこっち」と言ってくれたのですが、しばらくすると元の状態に。。。
引率の教師も特になにも言わないようで、、、これで彼らは何か得るものがあるのだろうか、と心配になります。

今日のリーダー氏は放任主義なのか、休憩の合図以外には特に指示を出すようなこともなく、黙々と自分の周りのガレキ撤去をしているだけに見えました。もうちょっと指示を出して人を動かすタイプのリーダーだったら、この高校生グループの動きも少しは違ったかもしれないかな、と思ってみたり。。。

これまでの、和気藹々とした現場の雰囲気とは異なり、ほとんど無言でなんとも重苦しい空気の現場になっていて、どうにもモチベーションがあがりません。
この地で何十日も活動していますが、こういうのは初めてでした。
(これが半日だけの最終日でなければ、自分もなんとかしようと動いたかもしれませんが、そういう気にならなかったなあ…)

 

予定どおり午前中のみで活動終了し、ボラセンで挨拶したあと昼食へ。どこに行こうかとちょっと迷った末、久しぶりに竹川原エリアの「たけや」へ行くことにしました。
場所がややわかりにくいですが、迷わずたどり着きます。注文したのは「豚ジスカン定食」。やはりこれがここのイチオシかな。

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最後に、コイン洗車場で3日間の泥汚れを洗い流し、新しくできたセルフSSで給油して帰路につきました。

微妙に後味の悪さが残りましたが、無事に3日間の活動を終えることができました。

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コメント

阪神帽の人・・・戸倉には主のような存在がいました。ただオッチャン風ではないので別人でしょうね。忘年会時の情報ではまだいたようです。

<高校生の件で昔話>
2004年の中越地震の時、名古屋の方からお寺のお坊さんが高校生くらいの子供たちを連れてボランティアに来ました。一日だけ我々と行動を共にしたのですが、全くと言っていいほど作業になりませんでした。元々彼らは生活に問題があり、その関係でお坊さんのお世話になっていたようです。おそらくボランティアの意味とか震災に対する感じ方も我々とは全く違う物だったかと思います。そんな彼らを被災地に連れて行って何かを経験させ、今後の長い人生に役立てられないかと、そのお坊さんは考えたのではないかと思います。成人した彼らが今頃どうなっているか、気になるところです。

投稿: 千葉のA | 2013年2月 3日 (日) 08時25分

>千葉のAさん
思うに、男ばっかりの現場だったことも影響してるかも。(^^;
女性がいると男はいいトコ見せようと頑張りますからねぇ。。。

投稿: たなかつ | 2013年2月 3日 (日) 21時16分

タイガース帽は、天木さんのことかな?
お疲れ様です。
そして、今週末からも、私の分もお願いします。

私も、以前ゴトウさん一人では無理そうだったので高校生グループの面倒を見ましたが、
最初はそんなかんじだったのですが、各々の個性を見て、適所に軽く責任感もたして、振り分けたら、競り合って頑張ってくれました(言った通り男女混成だからもあるとおもいます)。
指導者って、こんな気分なのかなって、たまたまうまくいったから満悦してしまいました。

投稿: 栃木のS | 2013年2月 4日 (月) 08時48分

すみません、戸倉じゃなくて小山と書こうとしてました。
で、私も栃木のSさんと同じ人を想像してました。
彼は相当の釣りキチです。
若いイメージだったのでオッチャン風とは思いませんでした。
さて、真相はいかに・・・

投稿: 千葉のA | 2013年2月 4日 (月) 21時13分

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