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2012年3月19日 (月)

【南三陸/2012年3月11日】震災から1年

3月11日。

あの東日本大震災から1年である。
日本全国で黙祷をささげる人が多いだろうと思う。もちろん私もそのひとり。
ただ、震災の記憶が薄れかけている地元にいると、どうしても黙祷することさえ忘れかねない気がする。
なので、この日はまた被災地で行くことにした。

宮城県の南三陸町では、この日はベイサイドアリーナで追悼式が行われる。
そのため、ボランティアセンターもこの日は休みとなり活動しない。

最初の予定では前後何日間か休みを取って、現地で活動して…と考えていたのだが、あれこれ仕事の予定が変わって、3月11日当日しか休めなくなってしまった。なので今回は日帰り遠征であり、ボランティア活動なしの観光客モードである。

 

土曜の仕事が終わって帰宅してから夕食、風呂、準備とやってるうちに夜遅くなってしまった。まあ、日帰りなのでたいした準備もないのだが。。。
東北道の夜間走行も慣れた道となったが、さすがに仕事後の運転はちょっと辛い。眠気に耐えつつ朝方に南三陸町へ到着する。

まず、「防災対策庁舎」前に行ってみる。南三陸町へ来るのは6回目になるのだが、この場所に立ったことは(車で前を通ったことは何度もあるが)まだない。なんとなく気が引けるのだな。でもちょうど1年という日なので、ここで手を合わせてこよう。今やすっかり有名になってしまった場所なので、14時46分には多くの人が集まりそうなので、早朝のうちに訪れてみた。
ある程度は予想していたが、早朝なのにかなりの人がいる。午後から行われる追悼式に参列するために町に来た被災者や関係者かもしれない。報道陣っぽい人たちもいる。でも、停まっている車のナンバーや雰囲気から判断して県外から「ここを見に来た」だけの人たちが多いように感じた。
(もっとも自分自身も似たような立場なんだけどね)
でも、カメラやビデオで撮影している姿には違和感を感じずにはいられなかった。この場所で写真を撮る気にはちょっとなれない。
鉄骨だけになった建物に近付いて行ったのだが、急に重い気分になった気がして献花台の正面には進みきれなかった。数m後方の場所で手を合わせた。

 

町営住宅、志津川港、旭ヶ浦…と以前に活動した場所のそばを通ってベイサイドアリーナをめざす。坂の登り口近くの海岸沿いに観光バスが数台並んで停まっている。ボラセンは休みだし、追悼式は午後からなので、早朝からここで時間調整?で停まっているバスがどういう団体なのかよくわからない。まさかに観光客とも思えないので式典の関係者なのかもしれないが、それならここで待機する意味もないし。。。

アリーナの駐車場はガランとしていた。式典のために駐車場を空けたとのことで、長期ボラの人たちの車もVC前に詰め込んで停められていた。
ここに自分の車を停めても迷惑千万なので移動。ボランティアのテントサイトになっている公園脇の駐車場に停める。前回来た2月の時点では2張りしかテント設営者がいなかったのだが、いまは10張りほどテントが建っている。
駐車場に車を停めたら、睡魔がまたぶり返してきたので、そのまま2時間ほど仮眠。。。

 

目が覚めて、少し海の方へ散歩する。
高台から海を眺め、しばし物思いに耽る。

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冷たい風が強く、波が高い。
遠くにホテル観洋が見え、左に視線を移すと袖浜漁港が見える。

町内を徒歩で歩いて回るわけにもいかないので駐車場に戻り、車で移動する。
袖浜から荒砥への県道を初めて通ってみた。狭い生活道路だが路肩が壊れている箇所もあるので注意がいる。通り抜けて国道に出るところが清水浜。
ここにはJR気仙沼線の駅もあり、築堤上の駅自体は残っているのだが、集落や鉄橋などが壊滅。夏に初めて来たころはまだガレキも残っていたが、あらかた片付いたようにも見える。しかし、ガランとなった土地は痛々しい。
とりあえず、ホームに上がってみたが、押し流された鉄橋に引き曲げられた線路がそのまま残されている。志津川駅などでは線路は早く撤去されていたのだが、ここまでは手が回らないのだろうか。

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そのまま、歌津へ車を走らせる。
歌津駅も夏には引き曲げられた線路が残っていたが、秋には一部が撤去されていた。今もその状態だった。
それにしても、築堤上の高いところにある線路が津波にやられてしまうというのは今でも信じがたい。。。

歌津駅前に車を停めて、徒歩で坂を上り歌津中学校へ。初めて南三陸町へ来た初日に活動した場所である。先月は人がいたのでかえって入りづらかったが、今回は学校の敷地内へお邪魔させてもらった。
救援物資の仕分けと配給場所になっていた講堂の前には仮設住宅が並び、雨が降ると水たまりができるという砂利敷きの通路は舗装されていた。
講堂の中からは走り回る生徒の足音も聞こえてくる。活気が感じられる場所というのはいいな。

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津龍院の周囲や伊里前商店会などは前月に見たので今回はパスして、車を志津川に戻らせる。
向かったのは志津川中学校。ちょうど半年前に運動会の準備を手伝った場所である。ここは高台にあって、ちょうど志津川の街を見下ろす場所にある。そのため、ここから撮影した写真や動画をよく目にしたものである。そういう場所なので人が集まってそう。車で上るのはやめて、下から徒歩で上ってみた。

案の定、学校の前には車が多く集まっている。大部分は報道関係の人たちのようで、ここから追悼番組の中継をするのだろう。中継車も停まっていてリハをやっていた。
また、被災した学校の教室などから集めてきたのだろうか、地震や津波の時刻を指したまま壊れた時計が並べられていた。

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とりあえず、この場所から街を見下ろしてみる。
半年前とどこか変わっただろうか。
見比べて見れば、違いがわかるかもしれないが、パッと見ではあまり変化がないようにも感じられた。

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今回は「観光客」として来たので、それっぽいことをしておかねば。

と言うことで、志津川中の近くにある、復興商店街へ行ってみる。TVなどでも紹介されてた仮設の商店街である。

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3月11日ということもあるのだろうが、かなりの人出で賑わっている。こういう活気ある場所がこれまであまりなかったので嬉しい。一応、全ての店をのぞいて回った。

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海産物などを扱う店では試食もさせてくれたりするので楽しい。
店先で「あげかまぼこ」などを売ってるところもあったので買ってみた。熱々で美味しい。

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商店街には食事処も数軒ある。この地では海産物をたっぷり乗せた「きらきら丼」を名物としていて、どの店にもそれをメニューに載せている。やっぱりそれを食べてみたいのだが、お昼時ということもあってどこも大行列になっている。
比較的行列の少ないお店に並んでみたが、そのお店は「焼きそば屋」さん。

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この店にも「きらきら丼」はあるのだが、ここはやはり看板メニューの焼きそばを注文するところだろう。大盛り(特盛りだったかも)焼きそばを食べる。ごく普通と行ってしまえばそれまでなのだが、普通なのが美味しいのだな。

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家に持って帰るお土産も買っておこう。

志津川といえば、タコが有名なのである。魚介類を扱う店が2店ほどあり、どちらもブツ切りのタコを試食させてくれる。これが美味しい。
売られているタコには「マダコ」と「ミズダコ」の2種類が並べられている。マダコはもっとも普通のタコで暖かい海に生息し、ミズダコは大型のタコで冷たい海に生息する、、、くらいの知識は持っているのだが、食用としてどう違うのかわからないので聞いてみた。
1軒目の漁師っぽいおじさん曰く、「タコの種類が違うんだよ」と。いや、そのくらいはわかってるんだが、、、と苦笑する私。
2軒目の店先にいる若いねーちゃんにも期待せずに聞いてみると、「ミズダコはホタテを食べててプリッとした食感。マダコはカニを食べててコリッとした食感」みたいに即答されました。あってるかどうかわからないけどGoodです。
試食で食べ比べてみると、たしかに「プリッ」と「コリッ」でした。で、「どっちの食感が好きですか?」ときました。商売上手ですね。(笑)
というわけで、ここでマダコをゲット。

ほかの店でもカマボコなどを買い込んで買い物終了。

 

午後になって、車を戸倉へ走らせます。
8月と9月に活動した波伝谷地区です。活動した民家の場所へ行ってみました。
1軒目の場所。炎天下のなかで草取りしたのを思い出します。あの時は草取りしてもすぐまた繁ってしまうのでは、と思ったりしましたが、意外にもきれいなままで安心しました。もっとも防波堤が破壊され、高潮の時には海水が上がってくるようなので復興には程遠い感じでしたが。
2軒目の場所。ここも炎天下の中で草取りとガレキ撤去した場所でしたが、土地の所有者のものらしい車が停まり、倉庫が置かれていて、片付けした土地がちゃんと利用されているようでした。これもちょっとホッとします。
9月に2日間活動した3軒目の場所。ここもきれいになったまま保たれていました。雨が降ったらまた埋まってしまうのではと危惧した側溝も無事だったし、重くて苦労した側溝の蓋、何箇所か無くなっていたのが新しい蓋が付けられていました。周囲の手付かずだった土地も少し片付いたように見えます。
少しずつですが、このエリアも進んでいる模様でホッとしました。

そして、この地のちょっと高台になっている所に建っているのが「戸倉神社」。

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ここで、午後2時46分に黙祷することにしました。
人が多い場所は嫌だったのですが、こちらは周囲に人気が無く静かです。

 

午後2時46分の直前に町内一斉放送にて、町長の追悼のことばが流れ、続いてサイレンが1分間鳴らされました。

 

黙祷・・・

 

これで、今回の目的はすべて完了したので、帰路に。
さすがに24時間で1000km近く運転するのはちょっと辛かったなあ。

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コメント

長距離の日帰り、お疲れ様でした。

残念ながら、お会いすることはできませんでしたが、思いは一緒でした。
14:46@戸倉神社とは、素晴らしいセンスですね。
私は、まさにその通り、いちご農家でした。

24日は無理なので、皆さんに宜しくです。

またどこかで、感謝します。

投稿: 栃木のS | 2012年3月19日 (月) 09時50分

こんばんは

栃木のSさんもお久しぶりです。
この時間まで仕事してました。
2月に入ってから1日も休み無しです。
明日も仕事です・・・(-_-;

私だって思いは一緒なんですよ~
でも3/11もずっと仕事でした。
主だったテレビ番組は録画したものの見る暇無し。
ただ南三陸町ボラセンを何かで見ました。
キム君とか映ってましたね。
誰か知っている人に会いましたか?
24日、また行くの?
私は当分の間動けません。

投稿: 千葉のA | 2012年3月19日 (月) 23時37分

>栃木のSさん
南三陸町&山元町での活動、おつかれさまでした。
3.11に活動している場所があるとは盲点でした。
事前に気付いていれば自分もそういう選択肢があったかもですが、南三陸町一筋になってる自分にはちょっと気付かないプランでした。

戸倉神社は自分が活動した場所の中では、もっともふさわしいと思える場所でした。
近々、お祭りがあるとかで石段の修復が始まったと聞きます。

またどこかでお会いしましょう。


>千葉のAさん
なかなか忙しそうですね。いいことです(たぶん...)
自分の方もあれこれ録画したものの見れてません。
志津川中での中継とかも放映されたのでしょうけど。

今回はVC休みの日の日帰りだったので、ほぼ誰とも会ってません。
VC前でチラッと会った長期の人に軽く挨拶しただけでした。(^^;

来週また行こうかと考えていたのですが、別件があってそちらになりました。

では、機会がありましたらどこかで会いましょう。


投稿: たなかつ | 2012年3月22日 (木) 00時31分

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