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2011年8月19日 (金)

【南三陸ボランティア/2011年8月】いざ出発

準備も完了したので、いよいよ出発である。

先に書いたように、当初は泊まり勤務明けで午後半休の予定だったので、夕方前に出発して夜中に到着。どこかで仮眠して翌朝から活動という計画だった。
しかし、休みが短縮され木曜定時まで仕事になる。普通だと翌日金曜日を移動日にして土曜日から活動開始となるところだが。。。土日は人が多くてごった返しそう。できれば金曜から参加して状況をつかんでおきたい、と考えた。というわけで、夜間走行を敢行することにした。

会社から帰宅して、最後の荷物積み込み、食事&風呂をすませて、いよいよ準備完了。
本当は21時頃には出発したかったのだが、なんだかんだで結局23時の出発となった。
地元のGSで満タン給油し、岩槻インターの一般レーンで通行券を取って東北道へ。
(災害派遣の証明書をみるとETCレーンで入っても構わないようだが、あとあと面倒になるといやなので一般レーンから入った)

夜の東北道。以前はガラガラだった印象なのだが、トラック等の交通量が多い。まるで夜の東名高速のようだ。ちょっと走りにくいが、そのぶん眠くならなかったのは好都合と言うべきか。
深夜2時過ぎに福島県の安達太良SAで休憩。小腹がすいてきたのでラーメンで夜食。
もう一走りして、深夜3時過ぎに福島・宮城県境の国見SA。売店で燻製玉子を売っていたので食料として購入。ここの名物(だと思っている)桃ドラの健在を確認。桃入り生クリームどら焼きである。が、今回は見送り。(^^;
ここのSAは給油所が24H営業なので、ここで満タン給油しておく。いかんせん、この先の被災地での給油状況がはっきりしない。(まあ震災直後のガソリン不足は解消しているのだが)
明るくなるまで少し仮眠を、、、と思っていたのだが、だんだん明るくなってきた。そうか、こんなに夜明けって早いんだったっけ。(最近、旅してなかったので忘れていた)

気を取り直して走り始める。仙台南インターで東北道から仙台南部道路~仙台東部道路へ。かつて、北海道へよく渡道していた時は、仙台港からフェリーに乗っていたのだが、仙台港はどうなっているのだろうか。
そのまま三陸道に入る。時間帯が早いので空いてはいるが、対面通行なので走りづらい。被災地に入って路面状況も心配だし霧も出ていたので速度控えめで走っていたのだが、後続がどんどん追いついてくる。ゆずり車線のある箇所も少なく、ちょっとストレスを感じる走りだった。
鳴瀬奥松島インター手前の本線上に料金所がある。
有人の一般レーンに進み、岩槻からの通行券と災害派遣の証明書を渡す。係員の方は最初は被災者の方だと思ったようだが、災害派遣の方だと気付いて「ご苦労さま」と。この先の三陸道は無料区間と聞き、ここで証明書は回収となった。

桃生津山インターで降りて、JR気仙沼線の柳津駅の近くを通り、国道45号線、道の駅・津山「もくもくランド」で小休止。すっかり明るくなっているが、時刻はまだ5時。ここはいくつかの町が合併してできた登米市。以前の登米町は「とよま」町だったが、今は「とめ」市である。なんかややこしい。

道の駅を6時に出発。小さい峠を越えれば、いよいよ南三陸町である。
峠を下って平地に出ると、、、道の両側にがれきが散乱している。海岸までまだ距離があるのだが、ここまで津波が押し寄せたのだとわかる。
海岸近くへ出ると、、、言葉を失ってしまう。

・・・・・・なにも、ない。

そこには戸倉の集落があったはず。駅もあったはず。なのに、なにも、ない。
あるのは、傾いたり崩れたりした建物が少しと、何もなくなった空き地。そしてがれきの山。
がれき自体は結構片付けられ何箇所かに山積みされているが、そのぶん、何もなさが強調されるようだ。

そのまま、南三陸町の中心の志津川へ。ここでも絶句するしかなかった。
景色自体は、TVニュースなどで見るのと同じ風景ではある。だが、画面を通してみる印象とナマで見るのとではインパクトが段違いだった。街全体が文字通り消滅している。道路自体は自衛隊の方たちが頑張ってくれたのだろう。安心して通行できるようになっているのだが、道を取り囲む街は、、、言葉に表せない。
戦争で相当量の爆弾を投下しても、ここまで破壊できないのではないだろうか。自然災害の力は想像を絶するものがある。
震災から5ヶ月経って、被災地の報道も少なくなってきた。報道される中心も地震と津波の被災地から原発事故避難民へ、そして放射性物質の飛散についてへ移行してきた感がある。それぞれ大事なニュースではあるが、地震と津波の被災地では5ヶ月経ってもまだ、復興どころか復旧段階の所も多い。それなのに、、、被災地以外の我々の中では、この地震と津波の災害が風化傾向にあるのではないだろうか。いやこれは絶対に風化させてはならない災害だと思う。

街を抜けて高台に上がると、そこに体育施設「ベイサイドアリーナ」がある。この周囲には民家もありホッとする。そしてここが、現在の南三陸町の中心である。役場の仮庁舎、消防署、病院などがプレハブで並んでいる。そう、みんなプレハブの仮設状態なのだ。なにぶん、街の中心部が全て消滅してしまったので。
今回の目的地である南三陸町のボランティアセンターのテントもここの一角にある。

001

002

一睡もせずに夜間走行してきたわけだが、あまりの状況に眠気も疲労も吹っ飛んでしまった感がある。ということで、このままボランティア活動に入ることとする。

                                 (つづく)

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